精神障害者ピアサポーターを目指す人へ

みなさん、こんにちは。

 

さて、僕の精神障害者ピアサポーターの経験を語る前に・・・ピアサポーターの仕事が解るように、僕のスピーチ原稿を公開します。

これは、今年の2月25日に公開戦略会議で僕が発表したものです。

皆さんの参考になれば幸いです。

 

皆さんこんにちは。これから地域移行支援の現状と、ピアサポーターの仕事の大変さについてお話しします。

 

ところで、皆さんは地域移行支援という言葉を知っていましたか?

病院に何十年も入院して、社会からは隔絶され、生きる希望や自信を失っている人がいる事を知っていましたか?

 

長期間入院している人たちの声はさまざまです。親からは拒絶される、両親とも亡くなる、そして唯一残った兄弟も結婚していたり、生活に余裕がなく、そして家族がいたとしても、精神病患者を抱えるという不安や、世間の目を気にして拒否されているケースもよく見かけました。

 

地域定着支援って言葉があります。これも精神障害者ピアサポーターの仕事の一つです。でもさっきもお話ししたように、対象者は高齢で身寄りのない人がほとんどです。

 

僕たちが直面した患者さんは60代以上で20年以上入院している方が7割です。そんな方々のように何十年も入院していたら、足腰が弱ったり、認知症を発症したりと、退院するのが難しい人が多いのです。

 

そして北薩地方のピアサポートの現状として、いざ退院する場面で、受け入れるアパートやグループホーム、そして介護老人保健施設などの公的施設は圧倒的に少ないのです。

これは、北薩地域特有のものです。鹿児島市内などは逆に余っているという話を聞きます。

 

だから、入院患者がたとえ退院を希望して、主治医の許可を貰って、いざ退院という場面で受け入れ先がなかなか見つからないという事も聞きました。

 

それ以前に、退院を希望しても、主治医の許可が出ないケースもあります。

 

そして実は、入院期間が1年未満の精神病患者や年齢が30代以下の若い人は、こちらが何もしなくても自分の意思で退院していきます。

結局残った地域移行支援の対象者は、一人で暮らす事もままならない人や退院する意思があっても主治医の判断で退院できず、退院をあきらめている人なのです。

 

そういった人たちに向けて僕たちピアサポーターは、各病院を回ってリカバリストーリーを語りました。

自分の辛かった経験や退院して楽しかったことなどを語って、人生は人それぞれなんだって言う気付き・・・患者さんの心の中に小さな波紋を起こす仕事をしてきました。

 

ところで、皆さんは、精神障害者ピアサポーターという仕事をご存じでしょうか?

外から見れば、精神障害者の憧れの職業。そんなイメージを僕は持っていました。

 

でも、ピアサポーターの仕事は、現状は見返りを求める仕事ではありません。時給も最低賃金とほぼ同じです。そんな中でも時には自分の時間を犠牲にして、様々なピアサポートの勉強をしたり、時にはものすごく長い時間をかけて通勤して、患者さんに寄り添う事もあります。そんな中で、与えられた期間を僕たちピアサポーターは精一杯頑張りました。

 

さらに、病院は公的機関と同じぐらいの個人情報に関する守秘義務があります。したがって、ピアサポーターは、自分の仕事の内容を人に話したり、ネットやSNSで発信する事も相当厳しいです。そして相談する相手も限られます。非常にメンタル的につらい仕事です。

 

でも、楽しい事もあります。ここにいるピアサポーター訓練生のリカバリストーリーの内容は全く違います、驚く事にカラーがそれぞれ全く違うのです。そこが面白いところでもあります。僕が楽しかったことは、4人の意見や話し方が全く違った事です。

 

最後に皆さんに伝えたい事があります。

 

精神障害者ピアサポーターという仕事は、入院期間が長いという理由で選ぶ仕事ではありません。何回も入退院を繰り返しているという理由も違うと思います。

 

ここにいるピアサポーター訓練生の全員に共通する事は、自分の事や、自分の考えを正直に話す事、すなわち「オープン」であるという事が同じです。

 

自分の病気の事を人に伝え、そして勇気を与える事が精神障害者ピアサポーターなのです。これから後に続く人は、精神病の事を、入院したことを、「オープン」で人に話せるかどうかを意識してください。

 

それでは、僕の話を終わりにします。ありがとうございました。

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