僕の生い立ち(対人恐怖症~小西しゅんようさんとの出会い)

 

みなさん、こんにちは 。

 

今回は、僕が対人恐怖症になり始めた事からお話しします。

 

前回、パチンコ店でアルバイトをして精神状態が不安定になって、またひきこもり始めたのですが、このころの僕は・・・人が多くて閉鎖的な場所だと、不安感が訪れてパニック障害のもっと大きな発作と人に会うのが極端に怖くなっていました。

 

でも、そんな状況でパチスロはまたやり始めてしまいました。お金は無いのに、嘘をつき親にお金を無心し、二週間に一回ぐらいはパチンコに行ってたかな。。結局ひきこもると、無意識的に「逃げ」の行動が多くなったと思います。

 

このころが一番、僕のひきこもり人生の谷底かな。。なんでこうなったんだと自分を責め、過去の事ばかりを思い出し親を恨み、最終的には首吊りで自殺を考えていた時期でした。。

 

正直、人生は苦しいもので、何の望みもなく、どうすればいいか分からない感じでした。

 

でも、数か月経って体調が落ち着いてきたら、自分なりに必死に考えて、またひきこもりから抜け出すために、KHJ埼玉に親を引っ張り出したり、若者支援センター(引きこもり公的支援)に通ったりもしました。

 

でも、KHJ埼玉での会話は難解で、若者支援センターのカリキュラムも幼稚で、とても社会への更生に役立つとは思えませんでした。

 

そんな中でも、当時KHJ埼玉の特別講師をしていた小西しゅんようさんの話が面白くて、僕は小西しゅんようさんといろいろお話をして、数か月後に親から決別をする覚悟で、大阪吹田市にあるコミキャンという作業所に、10日間(当時は期間は決めていませんでした)入所しました。

 

この10日間の経験はとても僕にとって貴重なものでした。新聞奨学生だったころの次ぐらい、必死にコミキャンに溶け込もうとしました。

 

また、この10日間も僕と一緒に暮らしてくれた方も優しい方でした(ひきこもりのお子さんがいると話してくれました)。

 

僕は、この10日間という期間、時には休んで、最終的には入所者と仲良くなれるまでになりました。

 

それで、そこで得た必死の経験が僕を少し変えたように思います。なんて言うのかな・・・修羅場を少し踏んで自分に少し自信を持ったという感じです。

 

それで、10日経って僕は埼玉に帰る事にしました。その時僕と同居してくださった方の言葉は忘れられません。「甫立君、この場所から家に帰る人は滅多にいないんだよ。」と・・・

 

振り返ってみれば、コミキャンという場所を経て・・・僕の人生は少し変わっていきました。

 

そんな感じで、埼玉の我が家に帰った時・・・僕は今までの人生の中でかつてないほどの疲労困憊をしていました。

 

そして、母親から「よく帰ってきた!もう帰ってこないと思っていたよ!」という言葉と、我が家というのは何て心落ち着く空間だったのか・・・というのを改めて実感しました。

 

これから先も病状は悪化していくのですが、精神的などん底はこの辺りだと思います。